役者は「なりきる」のではなくて、舞台上でその役に「なっている」のだ。お芝居やオペラ、ミュージカルの終演後、役者に「舞台上でなりきっていました!よかったです!」といった言葉をよく聞くが、私は少し違和感を感じている。
「なりきる」というのは普段の自分がいて、舞台上でその役に見せるためにその役を演じているように感じる。役者は舞台上で動かなくても、台詞をしゃべらなくても、演技をしなくてもその役に見えなくてはいけないので、役者は舞台では役になっていなくてはいけない。呼吸をする時もその役の息の仕方であるべきと考える。「なりきっている」のは当たり前で、舞台上で「なっている」のかどうか、そういった観点にて舞台を鑑賞するのも面白いと思う。
また、王様を王様と見せるためには、本人ではなくて周りの人たちが大きなポイントとなるだろう。王様は「私は王様だ」と威張って言ったところで、周りがその威厳を感じていなければ、つまりそう演じていなければ決して王様には見えない。
そう思うと、舞台はみんなで作るものであって、一人ひとりが大切なのだということが理解できる。
私はオペラ、ミュージカルから演劇といろいろな舞台を鑑賞している。そのなかでも特に吉本新喜劇のファンだ、なんば花月では新喜劇を2回観るようにしている。1回目は台詞を言っている人に注目する。いわゆる一般的な見方というやつだ。普通のお客様と同じ見方をする。そして、2回目は、台詞を言っている人ではなく、何もしていない役者に注目する。役者にとってはきっと嫌なお客であることには違いない。そうやって同じ演目を見方を変えて観るとまた違った面白さがあるのだ。「上手いな!」と思っていた役者さんの、舞台上で気を抜いている姿が観えてくることだってある。視点を変えるだけで、役者さんの色々な面を観ることができるというのは、ちょっと得をした気分になる。
新しい舞台の見方、皆さんも一度やってみてはいかがだろうか?
そのためには劇場に足を運んで、様々な舞台を観ていただきたいと思っている。